昭和48年01月20日 夜の御理解
今晩は、二十日の菊栄会の方達の事を、お願いさせて頂きよったら、傘に雪がちょっと積もっておるのを、こう横にしておるところを頂いたんですけど。どう言う事だろうかと。これは昔の句、「我が物と思えば軽し傘の雪」と言う句があります。信心というのは、誰のためにするのでもない、自分自身のものだ。信心というのもちろん心が神に向かうと言う事が信心である。
だからおかげのための信心すると、少しおかげを頂くと、もうそれはおかげは欲しい、限りなく欲しい。けども人間はやっぱりやれやれというものがあって、いわゆる信心を、疎かにしてしまう。そこで本当の信心と言う事が、わが心が神に向かうと、わが心が神に向かって変身していくと言う事の、喜びとか楽しみとかと、言う事の為に信心せよ、真の信心をせよとこう言われるのである。
ですからもう本当にそれはちょうど、親が子供に勉強せよ、勉強せよと言う事が親のためでは無い、子供自身のために言うのだけれどもようしない。信心せよ信心せよというなら頼むように言われても信心しない。ただちょっとしたおかげに腰掛けとる。そう言う様な事は、結局はおかげを中心にした信心だからである。
信心を本当の信心をさせて頂いたら、もうそれこそどんな修行でも、どんな信心でも誰のためでもない、自分自身のものなのだ。ために信心するのである。いわゆる降る雪も積もる雪も、我が物と思えば軽い傘の雪と言う事になるのである。ここ辺の所をひとつお互いが、はっきりと間違えないように、信心を心得ておかなければいけないと思うね。
どうぞ。